彼女が生きているかどうかを,僕は知らない。さっき駅前でわかれたばかりだと云っても,そのあとに事故にあっていないとは云いきれない。でも,僕にはわかるんだ。彼女が元気でいることが,喜んでいることが,悲しんでいることが。その気持ちが,時計の針を進めていく。それだけで,僕は生きていられる。
オライリー・ピアトゥピア会議では,検索こそが分散型ネットワークの大問題という話になっていた。ウェブのコンテンツを収集するスパイダーの後の世界に,決定的なかい解決策はまだない。
期待を集めたグヌーテラがひと頓挫しているのは,サーバーの数が増えすぎると,検索に途方もない時間を必要としてしまうことが原因だった。ピアトゥピアにとって検索は,やはり大きな問題だ。Hotlineのファイル検索はなかなかの精度があるが(私はTracker-Trackerを愛用),やはり接続できないサーバーがあったり,ファイル自体の確実性がちょっとなかったりする。でもそれはヤフーやグーグルも同じであって,実はそんな不確かな検索結果の中で,私たちは我慢している。そして,満足している。
ピアトゥピアとは,個人と個人の繋がり。まったくの他人同士が相手の気持ちを推し量ることはできないが,繋がりがあれば,なんとなく,わかることがあったりする。それは「推測」の域をでないが,逆に考えれば確かなことなどこの世界にはなにもなく,私たちは推測の中で信じあい,愛し合い,憎しみ合う。記事を読むと,絶対にFile Not Foundのない検索,OffLineサーバーがない検索ばかりを模索しているような感じだが,たぶん多少のいい加減さがあっても人々は困らないだろう。彼女が,今度会うときまで生きているって云う確証はない。でも,私たちは今日のデートで,確証のない約束だけで離れることができる。つまり,推測だけで世界は進んでいる。ピアトゥピアがそれを確信して歩みはじめたとき,時計の針は進む。
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